私のオメガバースの原材料
久々にジャック・ケッチャムの『隣の家の少女』を読み直しました。これは私が中学生の頃に愛読していた小説です。
大まかにあらすじを説明すると、舞台は1950年代のアメリカの田舎町。主人公の少年宅の隣の家に、両親を事故で亡くした姉妹が居候してきます。その家の主は、3人の悪ガキを食わせているシングルマザー。姉は彼女から若さを妬まれ、虐待の末に命を落とす───というシンプルなお話です。
(実話ベースだヨ!『冷たい熱帯魚』といい、実話ベースの物語は、妙に惹かれるものがあるよね。)
(イルミ推しで、性癖がどうかしている友達に勧めたら読んでくれて、「可哀想で可哀想で……興奮しすぎて泣いた」って感想をくれた。お墨付き!)
内容はともかく、めちゃくちゃ読みやすい文体をしていて、「だから中学生の頃、何度も何度も読み返すことができたのか……」と思いました。
この小説は、間違いなく「読んでしまったら、もう読む前には戻れない小説」ですね。
(「読んでしまったら、もう読む前には戻れない小説」……他に例をあげるとするならば、小野不由美の『残穢』が該当します。読んでしまったら、価値観が大きく変わってしまって、読む前の自分に戻れなくなる小説を指します。)
そんでまぁ、私は10年以上前にこの小説を読んでいたので、価値観が変わる前の自分を覚えていないのですが、今回読み直してはっきり言えることがあります。
私の性癖である「男尊女卑」と「差別」、間違いなくこの小説に由来している……!
作中には、居候してきた姉に嫉妬し、恨み言を吐きまくるシングルマザーが登場します。その罵倒が、だいぶ私の思想に入り込んでいる!内容はあまりにも下品なので、ここでは記しませんが、だいぶガツンとくる恨み言を吐くんですよ、このシングルマザー。
私のオメガバース創作は、この小説から多大なる影響を受けています。集団が一個人を「人間以下」に落としていく過程や、差別する側がもっともらしい理屈を作っていく様子……起源はここだったか!
(^-^)
……言ってしまえば、私はリョナラーと名乗ってそれをアイデンティティにする連中は嫌いだけれど、それとは別にリョナが大好きなんですよ。
(本当に申し訳ないけれど、ここだけの話、旅団の過去編もめちゃくちゃ興奮した。『隣の家の少女』と同様、「刻む」のがいいよね。)
そんな私にとって、『隣の家の少女』は至宝なのである。肉体的リョナと精神的リョナ、どちらもカバーしている!
男尊女卑……ならぬ、α尊Ω卑には精神リョナが詰まっている。
α尊Ω卑を描いた私のオメガバース創作は、私の性癖を最大出力で詰め込んだ傑作なのだ。
でも、私は苦痛が大好きだけど、最後には報われてほしいんですよ!だって、最後まで苦痛で終わる物語は、なんだか尻すぼみって感じがするんだもの。最後には救済があって、それでも背後に影がつきまとう───みたいなお話が好きだ。「Happy End……?」がいい。
オメガバースだとこうだね、酷い差別を受けて、人間扱いされないで生きてきたΩがなんやかんやあって愛する人を見つけ、その人だけは自分を人間として扱ってくれる。そして、Ωは自尊心を回復する。けれど、周囲の差別の目は特に変化しないまま終わる……みたいな。
私が好きなのは、苦痛に満ちた世界で私が焦点を当てた一個人だけが奇跡的に救済される話なのだ。で、冒頭の「酷い差別を受けて、人間扱いされないで生きてきたΩ」の部分に力を入れて描写したい!
ディストピア小説からも影響を受けていそうだよね。私はあさのあつこの『NO.6』と、ジョージ・オーウェルの『1984年』も好きだったよ!
私の性癖のルーツを探ると、小説ばかり出てくるね!馬鹿なのに!
(´・ω・`)
私は『隣の家の少女』で苦痛を学んだけれど、それだけでは足りなかった。そして現在、苦痛の先に救済を置くという、自分なりの正解に辿り着きつつあるのだ。
私のオメガバース創作における差別描写は、『隣の家の少女』の救済付き希釈版!この小説まんまの男尊女卑をお出ししたら、みんなドン引きしちゃうからね!
今回『隣の家の少女』を読み直し、原点に回帰しました!今、猛烈にオメガバース創作がしたい……!絵か?小説か?どっちにしよう!?
今後のカワリちゃんの活躍に乞うご期待!